【概要】
排出量取引制度が、令和8年度(2026年度)から、本格稼働される予定です。
その本格稼働に向けた動きの一環として、令和6年7月22日、「GX実現に向けた排出量取引制度の検討に資する法的課題研究会」の第3回目が開催されています。
これは本格稼働される排出量取引制度における民事法上の論点を研究するものです。
また、これを受けて本研究会事務局において民事法上の論点が骨子案としてまとめられています。
その骨子案が、同年8月21日の第4回目の研究会の冒頭において報告・検討されています。
本リーガルニュースでは、本研究会において検討された民事法上の論点や検討内容について公表資料をもとに2回に分けて整理いたします。
なお、検討された民事法上の論点は、大きくは以下の項目となり、2回目の本リーガルニュースでは、以下のうち②及び③を取り上げます。
① 取引対象となる「排出枠」の民事法上の性質
② 排出枠の取引に関する規律
③ 既存の法令との関係性
【目次】
1.制度設計上の論点②:排出枠の取引に関するルールの在り方
2.制度設計上の論点③;既存法令との関係
1.制度設計上の論点②:排出枠の取引に関するルールの在り方
論点②は、前記論点①における法的性質の整理等を前提にしつつ、排出枠の取引をどのように規律すべきか、私法の一般法である民法とは異なる規律を設けるか等の制度設計・ルールづくりの話です。
(1)権利の帰属・移転に関するルール/排出枠の流通を確保するためのルール
権利の帰属はどのように決まるのか、移転はどうか、排出枠の取引を活性化させるためにはどのようなルールが適しているかの問題です。
類似の制度である温対法において、権利の帰属・移転の効力発生要件、保有の推定、善意取得にかかる規定が定められており、排出量取引制度においても類似規定を設けるべきかが検討されています。
方向性として、本研究会においては排出量取引制度においても類似規定を設けるべきとされています。
類似制度の取引対象(振替社債等や温対法に基づく京都クレジット及びJCMクレジット)と排出枠において、以下の共通点があることに起因します。
【類似制度における取引対象との共通点】 ・ 券面が存在せず、固有のシステム上で管理される電子情報を取引対象とする点 |
具体的には、以下のようなルールが想定されています(経済産業省環境経済室作成の2024年7月22日付「民事法上の論点について」9頁・JCMクレジットに関する温対法上の規定、「グリーン・トランスフォーメーションリーグ運営事業費(排出量取引制度等の法的論点調査事業)調査報告書」119頁等参照)。
(排出枠の帰属) ・ 排出枠の帰属は、この章の規定による登録簿の記録により定まるものとする。 (排出枠の譲渡の効力発生要件) ・ 排出枠の譲渡は、第●条の規定に基づく振替により、譲受人がその口座に当該譲渡に係る排出枠の増加の記録を受けなければ、その効力を生じない。 (保有の推定) ・ 口座名義人は、その口座における記録がされた排出枠を適法に保有するものと推定する。 (善意取得) ・ 第●条の規定に基づく振替によりその口座において排出枠の増加の記録を受けた口座名義人は、当該排出枠を取得する。ただし、当該口座名義人に悪意又は重大な過失があるときは、この限りでない。 |
(2)意思表示の瑕疵に関するルール
排出枠の取引において意思表示に瑕疵がある場合、一般法たる民法のルールによることで足りるか、あるいは民法のルールから保護対象の第三者の範囲を拡張し、民法下の取引と比し、真の権利者の保護よりも取引の流通促進を優先させるべきかの問題です。
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善意 | |||||||
重過失 | 軽過失 | 無過失 | ||||||
民法 | 真の権利者 |
真の権利者 ※ 虚偽表示の場合は、第三者 |
真の権利者 ※ 虚偽表示の場合は、第三者 |
第三者 | ||||
別ルール例 | 真の権利者 | 真の権利者 | 第三者 | 第三者 |
本研究会においては、排出枠の取引について他の民法下における取引と比し、どこまで取引の流通促進を優先すべきかについて議論の余地はあるとされつつも、第三者保護規定の主観的要件の緩和は行わず、民法の規律に委ね、保護される第三者の対象を広げない方向も十分に考えられると整理しています。
(3)真正な保有者の救済手段についてのルール(記録上の名義人に対する返還請求ないし記録の齟齬の訂正請求)
排出枠の取引が意思表示の瑕疵により取り消された場合、真正な権利者は正常な状態に戻すために何ができるかの問題です。
前述のとおり、排出枠の取引においては以下のルールが定められる可能性があります。
ルール1 排出枠にかかる権利が、記録上の名義により帰属が定まる。 ルール2 名義人として記録されていることで権利者として推定される。 ルール3 その記録を信頼した第三者を保護する(善意取得制度)。 |
ルール1等から、排出枠の取引がされた場合、当事者間において記録上の名義が変更されます。
そして、特にルール2及び3があることから、排出枠の取引を取り消した場合、記録をそのまま放置することはできず、真正な権利者としては、いち早く記録をもとに戻し、あるべき状態に戻す必要があります。
記録をもとに戻すための法的根拠について、本研究会は、以下の3点が考えられるとしています。
1 | 物権的返還請求権による方法 又は物権的返還請求権に関する考え方を類推する方法 |
物権的請求 |
2 | 口座記録を準占有とした上で、誤った口座記録による財産権の侵害を理由とした物権的請求を行う方法 | 物権的請求 |
3 | 排出枠の占有を不当利得として、不当利得返還請求権による方法等 | 債権的請求 |
その上で明文規定を新設するか否かについて、本研究会は、明文規定なくとも各権利は存在し得るとしつつも、明確性の観点からは明文規定を創設するのが望ましいといった考慮もあり得るとしています。
加えて、本研究会は、他の法律の議論の状況として、船荷証券の電子化に応じた商法の法制審議会において、電子記録上の権利を適法に有しながら【「支配」を失った者から「支配」をする者に対する返還請求権】を別途規定する方向で議論がなされていることに着目して検討すべきとしています。
(4)前提事項:「排出枠」にかかる権利の構造
以下のようなケースを想定した排出枠の譲渡対象のルールに関する問題です。
【ケース】 ① AもBも、それぞれ10t分の排出枠を適法に有していた。 ② 記録上、Aが有していた5t分の排出枠について、Bに移転された。 ③ もっとも、②の記録は、譲渡自体が存在せずに違法になされたもの、または譲渡が存在したものの瑕疵ある意思表示に基づくものであり後に取り消される等し、真実の権利状態をあらわし得るものではなかった。 ④ Bは、記録上、排出枠について、①の10t分と②の5t分の合計15t分を有することになった。 ⑤ Bは、Cに対し、自己の排出枠15tのうち10tを譲渡した。 【本論点】 ⑤で譲渡した10t分は、①の10t分、②の5t分、それぞれどの程度含まれるか。 |
第三者Cとしては、Bがもともと適法に有していた①の10t分であれば何ら問題なく有効に譲渡を受けることになります。
反面、②の5t分が譲渡の対象に含まれていれば、それを有効に取得するといえるには、第三者保護規定や善意取得等の適用を受ける必要があります。
しかしながら、排出枠は代替性を有し個性がないと考え得ることから、ルールがない限り、権利の帰属が不明確になり得ます。
そのため、上記のようなケースにおいて譲渡対象がどのように決まるかのルールが必要となります。
本研究会は、振替証券における議論において、当事者の意思解釈の問題であるものの適法に有するものから先に転売されたと解する考え方があると示しています。その上で以下のような考え方があり得ると整理しています。
考え方 | 理由 | ケースの帰結 | |
1 | シリアル番号によって譲渡対象を特定する考え | 1t毎にシリアル番号が付されることが想定されており、このシリアル番号によって排出枠を識別できる。 | Cに譲渡した排出枠のシリアル番号に応じて①の分か、②の分かが決まる。 |
2 | 譲渡対象の量に応じた一定のルールに基づき処理する考え方 例:適法に有する分から先に譲渡対象に充当 |
シリアル番号の違いによって個々の排出枠の性質は変わらないとの考え方 | 例えば、振替証券における議論と同趣旨のルール(=適法分から譲渡される)が設定されていた場合、①の10t分が譲渡対象となる。 |
(5)瑕疵ある意思表示により移転された排出枠の償却の効力
真正な権利者ではない記録上の名義人が償却義務を履行した場合、その償却の効果は有効か無効かの問題です。
行政庁側からみると、記録上の名義人が真の権利者であるかを確認する義務が行政庁にあるかという問題として整理されています。
【ケース】 ① Aが有していた5t分の排出枠について、Bに移転された。 ② ①の譲渡は、Aの瑕疵ある意思表示に基づくものであった。 ③ Bは、①の排出枠を使用し、償却義務を履行した。 ④ Aは、③の後、①の譲渡を取り消した。 ⑤ Bは第三者保護規定の保護を受け得ないものであり、①の排出枠にかかる権利はAのもとに帰属している。 【本論点】 ④の取消しにより、③の償却も無効になるか。 |
この問題について、本研究会は、まず、記録上の名義人は排出枠にかかる権利を有しない以上、その排出枠による償却も無効と整理されるとしています。
もっとも、償却時に行政庁において真正な権利者であることを調査・判断することは困難であること及び排出量取引制度の安定性を図る必要性から、無効となる期間に制限を加える旨が示唆されています。
考えられるルール設計として、以下のものが整理されています。
ルール1 真正な権利者からの償却ではないことが判明した時点で、行政庁が償却を無効とし、その排出枠を真正な権利者の口座へ振り替える。
ルール2 一度償却が実施された場合は、一律に有効にし、事後的に償却の効果は覆すことができない。
ルール2の関係から、以後一律に有効となる償却の時点について明示すべきであると考えられています。
さらに、ルール2との関係から、紛争化しているケースにおいて、記録上の名義人に過ぎないものによる償却を防ぐための仮の措置の要否を検討する必要があるとしています。
(6) 過剰に割り当てられた排出枠の処理
行政庁が誤って過剰に排出枠の無償割当てを行った場合、行政庁が割当てを職権により取り消すことが考えられるところ、その職権取消し後の排出枠をどのようにするかの問題です。
この問題について、本研究会は、以下のA若しくはBのルールがあり得ると整理しています。
ルールA:取消を受けた者に対し、過剰になされた無償割当てと同量分の排出枠を行政庁に返還する義務を課す。
ルールB:取消を受けた者に対し、過剰になされた無償割当てと同量分の排出枠について、取消処理を行う義務を課す。
本研究会は、第三者に対する職権取消しの効果も含めた過剰割当てのルールの明文化も考えられるとしています。
2.制度設計上の論点③:既存法令との関係
既存の法令によるルールがどのように適用されるか、特則規定を設ける必要があるか等の論点です。
(1) 民法(物権)に関する事項
まず、民法(物権)の領域における議論として、質権について以下のとおり整理されています。
問題点 | 整理 | |
質権 | 問題点1:温対法との関係性 | 温対法においては算定割当量(京都クレジット)や国際協力排出削減量(JCMクレジット)に対する質権の設定が明文で禁止されている。排出枠も同様の性質をもつところ、温対法との関係で排出枠も質権設定が禁止されるべきかという問題。 温対法の背景事情として、国際的な流通を前提にし、他国との関係をみる必要があったところ、排出枠は国際的な流通が想定されていない。 |
問題点2:行政コストの増加 | 質権設定を可能にするためには登録簿上に質権の設定・対抗要件具備制度を設ける措置が必要になり、システム上の負荷が増大し、行政コストが増加する。 | |
問題点3:質権設定のニーズが高くないこと | 限られた期間内において償却を目的とするという排出枠の性質上、質権設定のニーズが高くない。 | |
問題点4:排出枠の取引の安全 | 質権設定を認めることで流通が阻害され得る。 |
そして、譲渡担保についても、整理されています。
現在、登記制度の見直しが検討されていることを受けて、排出枠に対する譲渡担保にも登録簿の記録上、何らかの手当を要しないかについて検討が必要としています。
そして、何らかの手当を行う場合、質権設定の問題点2や4が同じく存在します。
それにもかかわらず、譲渡担保と質権のそれぞれの取扱いを区別し、質権のみを禁止するとすれば、その合理性があるかの検討が必要となるとしています。
(2) 民事執行法に関する事項
償却義務の確実な履行のために、債権者による排出枠の差押えを禁止するか否かという問題です。
本研究会は、現行の差押禁止の趣旨が排出枠には妥当しないこと、他方、排出枠を一定程度確保しなければならないとするコミットメントリザーブの仕組みの導入が考えられることから、あえて差押禁止財産とする必要性は高くないとしています。
(3) 破産法に関する事項
償却義務の確実な履行のために、破産管財人による排出枠の譲渡その他の処分を禁止するか否かという問題です。
本研究会は、現行の破産法制との整合性から、禁止することは困難であるとして、コミットメントリザーブの仕組みの導入の検討が考えられるとしています。
(4) その他の課題
コミットメントリザーブの導入にあたり、対象事業者の取引を制限するものになるため、市場の流動性確保の観点に留意して検討することが重要としています。
カーボンニュートラル検討プロジェクトチーム 弁護士 岩本 渉